文系IT企業愚痴日記

ちょっと数学が得意なだけの文学部卒文系がIT企業に入ってしまった苦悩の日記。

文系がIT企業に務めて 5月26日

進まない。進まないのだ。

プログラムは良くも悪くも自分の書いた通りにしか動かない。けれどどこに問題があるか分からない。根本的な解決策が思いつかず場当たり的な修正をしては弾かれる。豆鉄砲はスクリーンに簡単に跳ね返されるのだ。

そもそも今の完成度がどの辺なのか、正しい道順を進んでいるのかも分からない。こんな人間が1ヶ月後には配属先とやらに出荷される。とんでもないことである。

とにかく質問はこの社会を生き抜くための最大の最低限スキルであるのは理解したが、配属先の人間が質問に対して寛容でなければ私が唯一縋りつこうとした手段も目の前から消え、いよいよ本格的に己の弱さと向き合わなくてはならなくなる。

緊急事態宣言は解除されたがそれによって起こる緊急事態がこんな街角にあるのだということも囁かながら訴えたい。

文系がIT企業に務めて 5月20日

できそうでできない。懇切丁寧に教えて貰い、得た鍵を使ってもどうしても開かない扉がある。それを言うのが怖い。文面はそれが意図しているかはともかく人に感情を過剰に伝達してしまう。画面越しに来る呆れやため息は銃弾や砲弾となって私の心に降り注ぐ。被害妄想かもしれないがこの鮮明なイメージが私に質問を躊躇させる。

ポインタ、配列、ビット、制御文。ある程度プログラミングに触れて分かっているつもりになっていたが躓きはまだまだ減らない。これから現場に出ればまた新たな言語を習得しなければならない。そこでも同じように躓き続けていたらどうなるのだろうか。私の心は起き上がれる程余力が残っているだろうか。

世間はそろそろ通常営業に戻ろうとしているが私の心は不謹慎にもこのコロナ禍で得た安息に囚われたまま。

2週間も経てば、今まで霧に包まれていた社会人に本来向けられる牙に対して立ち向かっていかなくてはならないのだ。覚悟はしてもし足りない。

文系がIT企業に務めて 5月19日

自分には何のスキルもない。

そう思い知らされた1日だった。

 

ほとんどの同業の人間は当然持ち合わせており、就活生でも持っている知識を私は持っていない。

足りない知識を得ようとして手を伸ばすも基本情報処理等これから身につけなければいけない知識の山に愕然とする。1年や2年IT企業に身を置き仕事をすれば自然と身につくなんて量には見えない。

いつ私は”経験者”になれるのだろう。そんな漠然とした、しかししっかりと絶望に染められ黒ずんだ感情が自分の中に立ち込めるのを感じる。

これから私はどのような人材を目指し、どのような勉強を積まなくてはならないのだろう。そして私は今成長しているのだろうか。自分への問いかけが、未来への問いかけが、処理の間違えたfor文の如くループを抜けず、脳の中で回り続ける。

文系がIT企業に務めて 5月15日

今週の業務が終わった。

リモートワークにも慣れてきてペースも掴めてきた。じゃあコーディングが捗るのかと言われればそれはまた別の話ではあるが。

より簡単により分かりやすく処理をすることを求められるのがコーディングの難しいところだ。私は高校時代数学の問題をとりあえず解けさえすればいいといって確率の問題は場合分けを多用したし、特殊な解法をわざわざ使おうとした記憶が無い。今まさにそのツケが回ってきている。

脳がとりあえず動かすコードから考えてしまい美しさとは真逆の方向に進むのを抑えながら思考を回していく。これが今の私にとっては本当に難しい。処理の順番、使用する関数。同じ結果が出ても過程にも質が求められる。とりあえずやっつけで動かすだけのコードを書くのは時間の無駄だと気付いて辞めたが、そうすると地蔵のように固まる時間が増えていく。こんな地蔵の姿を見た上司は何を思うのだろうか。想像は容易い。

金曜日のこの時間が1番救われていると感じる。家に居ながらも自分も社会人としての感覚が芽生えてきたという何とも言えない気持ちを酒で流し、束の間の休息を享受しよう。

文系がIT企業に務めて 5月12日

どうやら弊社はリモートワークを続けるらしい。

忌々しい邪気を放つパソコンに触れることなく快適に過ごしたGWの後に”通勤”という最も恐れていた事態が起こっていたら耐えきれないと感じていたので救われたとしか言い様がない。世間からは今年に節目を迎える人間は大変だと哀れみの声が聞こえるが私のように救われている人間も少なくはないのではないか。

話は変わるが人前で仕事をするようになることを見据えると私は少し心配なことがある。私はコーディングする時PCを触る時間よりノートにメモをしたり頭の中で考える時間の方が長い。”手を動かせ手を” ”何をサボっているんだ” そういう罵声が今にも聞こえてきそうである。大学でも論文を書く時は3時間以上PCの前に座りながら触らず紙のメモを弄り思考をまとめている事が多かった。これから仕事に加えて、”人に仕事をしているように見えるような素振り”にも気を遣わなければならないのだ。あまりにも憂鬱である。

このまま訳もわからず学びだけを続け、そして仕事に対面した時私はどうなってしまうのだろうか。不安で胸が詰まる。そんな日々がこれからも続く。

文系がIT企業に務めて 5月8日

”分からないことはどんどん聞け”

”それくらいは調べろ”

 

社会人というのはマナーよりも何よりもどうもここら辺のさじ加減を覚えることからはじまるらしい。

分からないからじゃあ調べよう。でもここが分からない。また聞きに言ったら”それくらい”になるんじゃないだろうか。どのくらい調べてどのような内容なら質問しても良いのだろう。

自分の経験値がある分野ならともかく経験値が乏しい人間にここの境界線を見極めるのは非常に困難である。

”当たり前”を習得してしまった時、人間はその当たり前ではなかった時期を忘れてしまうという。確かに自転車に乗れなかった時、泳げなかった時のことを鮮明に思い出せというのは私にもできない。

ただあなたにとっての”当たり前”は私にとって”当たり前”ではなくそれを習得しようと私が必死にもがいているという事だけでも理解してはいただけないのだろうか。

 

文系がIT企業に務めて 5月1日

GW前最後の日。

リモート研修終了の足音も聞こえてくる中本日もコードと向き合いながら唸る時間を過ごした。

自分の理論の中ではうまくいくはずなのにうまくいかない。コンパイルと修正を繰り返して時間が過ぎる。理論が間違っているのだろうかと思い変えてみる。そうするとまた可読性が低くなっていく。出力される結果が微妙に違う。脳にも目にも精神にも疲労が溜まりどうしようもなくなる。

毎回言っているが出勤しながらこんな仕事できるのだろうか。すいすい進めていく同期。それと私を比べ呆れる上司。吐き出されるエラー。ふとした瞬間に叫び声をあげてしまわないだろうか。こんな妄想がくっきり浮かぶ程追い詰められている。

もしかしたら出勤したらこんな気持ちも良い方向に変わるのかもしれない。そんな淡い期待を胸に束の間の休日を享受したいと思う。